2010年11月21日日曜日

舩坂弘-アンガウルの戦い

舩坂弘-アンガウルの戦い

米兵を200人以上殺傷。米兵から鹵獲した短機関銃で数人斃し、
左足と両腕を負傷した状態で銃剣で一人刺殺し、
短機関銃を手にしていたもう一人に銃剣を投げて顎部に突き刺して殺すなど、
鬼神を泣かしめる奮戦をした。

部隊壊滅後、敵将に一矢報いんと手榴弾六発、拳銃一丁を持って
米軍指揮所テント群に数夜をかけて潜入した時には、
すでに左大腿部裂傷、左上膊部貫通銃創二箇所、頭部打撲傷、右肩捻挫、左腹部盲貫銃創を負っていた。


突入してきたこの異様な風体の日本兵に、
発見した米兵もしばし呆然として声もでなかったという。
舩坂は前哨陣地を単身突破し、米軍司令部を目指し突入するも頸部を撃たれて昏倒し、
戦死と判断される。

しかし、舩坂は3日後に米軍野戦病院で蘇生する。
ペリリューに身柄を移されて2日目には、重傷を負っているにも拘わらず
捕虜収容所から脱け出し、米軍弾薬庫の爆破に成功している。

個人の戦闘記録としては唯一戦史叢書に載せられる。


戦史叢書(せんしそうしょ)


こんな活躍をできるように私はなりたひ。

1 件のコメント:

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